院長プロフィール

最新A&H矯正であなたの笑顔を取り戻しましょう^^/

院長

池  英愛

CHI    YING AI

1975年 2月 2日


資格
・柔道整復師(国家資格)

あなたに出逢えて本当に幸いです

愛ちゃんの原点はここから始まる

【A&H矯正腰痛院】には、都外からもはるばる施術を受けにやって 来る患者さんも多い。 そして多くの患者さんが、「先生、日差しがよくさして、駅から近く通いやすい場所ですね」と言ってくれる。
池も嬉しそうに笑う。 「そうなんですよ!私もこの場所が大好きなんです。」
つらい痛みと戦っている患者さんは日々ストレスを抱えていて、自律 神経を乱している方も多い。そこで少しでも落ち着く、癒される空間に池はこだわっている。

池は「患者さんの人生をゆたかにすること」を考え行動する。
この考えに至ったこの彼女の原点は、一体どこにあるのか?

 幼少期

1975 年 池は中国吉林省龍井市で生まれ育った。
家族は両親、そして弟と 4 人家族。
父親は原因不明の疾患を治す地元ではちょっと有名な気功師だった。
小さい頃からそんな父親の背中をみて育った池は、将来人の役に立つ 仕事に就きたいと思ったという。

日々、父親が患者さんから笑顔で感謝されているのをまじかで見ていて、わたしも人のお役に立って笑顔が見たいと自然と思うようになっていましたね。

 22才の時

小さい頃からドラマ「おしん」にはまり、「将来、美しい日本に 住みたい」と思っていたという池。

22才の時に、念願の日本へ留学することを決意する。

そこで周りから
「あなたには無理だからやめなさい」と言われたが、

しかし、留学生活は思うような理想とはほど遠い、苦しい現 実が待っていた。

学費と生活費を払うために、先輩に紹介してもらった新宿にある台湾料理店 でアルバイトを始めたが、日本語がまた片言だった池は、短時間に帰宅させられる日々になる。

当時は「学費と生活費をどうすればいいのか?ばかり考えて、毎日食べることでストレスを発散していましたね。」

3ヵ月後には体重が13キロが増えてしまった。

店長からは「子豚」と言われていたそうだ。

●  24才の絶望と転機

24歳で大学へ進学することになる池だが、 学業とアルバイトの負担から腰椎椎間板ヘルニアになり、1 ヶ月ほぼ寝たきりの 状態を過ごすことになる。

「腰をかばいながら何とか整形外科に受診するも、2週間安静にしてくださいと鎮痛剤・湿布を処方されただけでした。」

ところが、安静にして2・3 週間過ぎても、腰の痛みと右足のしびれが一向に良くならない‼️

「なぜ、良くならないの?このままずっと歩けないの?学校もバイトもいけないの?」

痛みと不安で夜もまともに眠れず、このころ池は、睡眠薬を飲みながら過ごしていたのである。

痛みが引かず3 週間が過ぎたころ、このまま嘆くばかりではどうにもならないと思い、池は近所の整体院を訪ねる。

「藁をもつかむってこのことですね!もうどうしていいかわからず、右足を引きずりながら助けてほしいって先生にすがりました(笑)」と苦痛と笑顔が入り混じる複雑な表情で当時を振り返り話してくれた。

それから、先生を信じて施術を受けるうちに、徐々に痛みとしびれが改善され、学校もアルバイトも行けるようになった。

「先生が神様に見えましたね!わたしの命の恩人です!!」

その後、自分と同じような症状でお悩みの人の為に役に立ちたい と、4 年間その整体院でアルバイトをした。

  結婚→出産→離婚→再婚

29 才の時、友人の紹介で3才年上の日本人の男性と結婚する

ご主人は全国の発電所を廻る仕事で常に単身赴任で 2 週間1回帰宅す る。
池は茨城県取手市で中国気功整体院を経営していた。

35才の時に、難産で未熟児で生まれた長男が ICU に 1 ヶ月以上 入院することになるが、仕事でなかなか家に帰れないご主人とすれ違う 日々が続く中で、6 年の結婚生活に終止符を打つことになる。

シングルマザーとして、6 ヶ月の長男を保育園に預けて、整体の仕事 を頑張っていた。

しかし、免疫が弱い長男は保育園に行くとすぐに熱が出て、毎日の ように迎えに行って、整体院のベットに寝かせて仕事をすることになる が、長男の泣き声でとても仕事に集中できる状況ではない。
そこで、長男が 9 カ月のごろに中国の祖母に 4 年間面倒を見てもら うようにした。

「この先はいつ逢えるかな」と泣きながら愛する長男と離れ離れになる。


10 年間整体の仕事をするうちに、繰り返しの坐骨神経痛に苦 しむ。
「先生、また痛くなりました!」 「先生、また足がしびれてきました!」などなど患者さんの声になんと 答えればいいかだんだん自信がなくなっていく。

落ち込んでいる時に、友たちから「もっと勉強して柔道整復師国家資 格をとると役に立たつかもよ」と言われたきっかけに、 「そうだー‼ 柔道整復師国家資格を取ってきちんと責任をとれるように 勉強しよう!」と志す。
そこで 5 才の長男が日本に帰ってくる。

学費と子育ての 現実的な問題に直面して、前の旦那と再婚することになる。

 運命的な出会い

専門学校 2 年生のごろ、学校の講演会にきた10年待ち神の手ゴット ハンドの酒井慎太郎先生に出逢う。

国家資格を取得して直ち さかい保健整骨院に入社するこ とになる。
日本全国から椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症などの重症患者たちが あふれる整骨院だった。
今まで経験した症例とは遥かに重症ケースが多く、思うように簡単に 結果は出なかった。


「担当者を変更してほしい」
「先生、またまた痛いんです」
「先生、本当に治りますか」 などの質問にだんだん自信をなくした。
ストレスで甘いお菓子ばかり食べまくる結果また10キロ太り、仕事途 中に血圧が160以上あがり、病院に向かうことになった。
「私にはもう限界かな?」と 落ち込んでいる池に副院長が優しい言葉をかけてくる。
「実は私も新人時代に、同じことを経験してここまでたんだよ ね、、、、、、

いろいろと失敗を経験しているうちできるようになるよ」と慰めてく れた。
それから、何か詰まった時には積極的に先輩達に質問してご指導して いただいた。
入社 1 年後、
「先生、すごいですね!1 回でしびれがなくなりましたよ!」 「先生、朝スッキリ起きるようになりましたよ!」
「先生、山登ってきましたよ!」 次々と患者様から感謝の声をいただき、患者さんと一緒に池も笑顔で 微笑む。

 開業

4 年後、遂に念願の一人治療院を北区東十条で A&H 矯正腰痛を開業する。
駅から徒歩 3 分の距離感と商店街と 1 歩離れて静かで落ち着く路面店で、腰痛 でお悩みの患者さんを迎えている。
「それと患者さんはね、家族なんですよ。」と池は言う。

「患者さんが上とか、わたしが上とか関係なく、1対1の人として向き合って
います。まあ、言いたいこと言ってますけどね(笑)。楽しみにして施術を受
けに来てくれるし、わたしも楽しい。本当に素晴らしい方たちに恵まれて幸せ
者です。」


「これからも、恩返しをしていきたいですね。わたしができる恩返しは、健康
な体を維持してもらうこと。だけではなく、その人の人生をゆたかにすること
であり、一番、患者さんに必要なことだと思います。」
「地域貢献して患者さんの人生を、ずーっとサポートしたいと思っていま
す。」


患者さんは「家族」という池。
家に帰れば本当の家族、旦那と長男がいる。

家族のために仕事に燃え、毎日頑張っている一方で、「家族」という患者さん
たちの人生を診てサポートすることを生業としている。
「改めて考えてみれば 、わたしは家に帰ってもサロンに来ても「家族」に囲 まれているんだなとつくづく思う。そして、それがとても幸せなことだと日々 かみしめています。」


今日も痛みで悩んでいる新しい患者さんが、A&H 矯正腰痛院の扉を開く。

それを池が、最高の笑顔で迎える。 患者さんは池を目の当たりにして、笑顔を返しながらも戸惑いを隠せない。 「今日からこの方との人生が始まるんだな」と、池はワクワクしている。

不安を笑顔に変えるのは、池の得意技だ。 今日、来週、そして 1 ヶ月後。。。

この患者さんはきっと池にこう言っているだろう。 「先生に出会えて本当によかった!」 「毎日が前向きになり楽しいです!!」
これを読んでいるあなたも、「私もこんなふうに『人生がよくなった!』って 言いたいな」と感じたなら、A&H 矯正腰痛院をぜひ訪ねてほしい。

常に新しいことにチャレンジしては失敗している池という治療家に会ってほし
い。
きっとあなたの悩みは、間もなく笑顔に変わり、解消されるだろうから。。。